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Point of view [2020.06.12]

第158回 本田和盛

従業員のキャリア形成において、企業の自己啓発支援の重要性高まる

本田和盛 ほんだ かずもり
あした葉経営労務研究所 代表
HAコンサルティング(株)代表取締役

特定社会保険労務士、MBA、小樽商科大学卒、法政大学大学院経営学研究科修士課程、同大学院博士課程修了。コマツを経て独立。労務管理分野における卓越した知識と経験をベースに、労働法務から採用、人材開発、組織開発、ヒューマンアセスメント等のマネジメント系研修など幅広い領域において活躍中。
主な著書に『管理職の基本と原則』『管理職の理論と実践』『人事が伝える労務管理の基本』(以上、労務行政)、『図解 募集から内定までの採用マニュアル』(成美堂出版)ほか執筆多数。

雇用保障からキャリア保障へ

 2019年5月、大手自動車会社のトップから「終身雇用を守っていくのは難しい」旨の発言があり、マスコミ各社が大きく取り上げた。この発言に賛否両論はあろうが、会社経営や人事関連の仕事に就いている者であれば、多少の衝撃はあったにせよ、納得感を持って受け入れたのではないだろうか。先の見えない時代に10年後の職域を保障しますと安易に口には出せないものだ。もちろん企業には社会的責任があるのだから、雇用を保障すべきだろう。しかし、そのためには従業員の自助努力も欠かせない。
 雇用保障が困難な時代に企業と従業員がともにWIN-WINの関係になるためには、従業員が自己啓発を行い、企業がそれを支援することに尽きる。端的に言えば、従業員の雇用保障ではなく、従業員のキャリア保障を重視した人事制度を構築していく必要があるということだ。それが結果的に企業の労務リスクを低減させ、従業員のエンプロイアビリティ(雇用され得る能力)向上を通じて、雇用保障につながる。
 従業員に自律・自己責任を求める企業は少なくない。「指示待ちではなく自身の判断で必要な行動をとり、役割責任を全うしてほしい」というメッセージであるが、従業員によっては、「会社が仕事を一方的に押しつけ、結果責任だけ負わせるのだろう」と受け取る者もいる。自律・自己責任を求める企業のスタンスは間違っていないが、自律・自己責任を求めるのと同時に、従業員に提供するものがないと従業員も納得しない。それが「自己啓発支援」である。
 企業の人材育成の3本柱といえば、昔からOJT(職場内訓練、On The Job Training)とOff-JT(職場外研修、Off The Job Training)、自己啓発とされてきた。これらのうち、各企業が力を入れて取り組んでいるのが研修などのOff-JTである。しかし最近は、新入社員研修など一部の研修を除き、従業員を選抜して研修を受けさせる企業が増えている。その結果、能力開発の機会をOff-JTという形で享受できない層が一定数生まれている。
 一方、自己啓発については、会社はほとんど関与せず従業員任せとし、一部希望者のみ、スキルアップのための通信教育やeラーニング受講の費用補助を行う程度で終わっている。このように自己啓発支援は、保養所利用の補助と変わらない一種の福利厚生という位置づけにとどまっているのが現状だ。
 しかし、雇用保障からキャリア保障の時代に変わると、この構図ががらりと変化し、企業の人材育成のウエートは、Off-JT偏重からOJT・Off-JT・自己啓発支援のバランスがとれたものに大きくシフトする[図表1]。そうなると企業は、計画的な自己啓発支援プログラムの策定や従業員の自己啓発に対する費用支出が求められ、従業員別の自己啓発支援履歴についても人事データとして管理する必要が出てくる。従業員別の自己啓発支援履歴は、後述するように解雇時の合理性評価の資料としても使える可能性があるので、適切に管理したい。

[図表1]自己啓発支援を企業の人事制度の根幹に据える

自己啓発支援はトータル・リワードの一要素

 トータル・リワードとは、従業員の動機づけの観点から従業員への報酬全体(金銭的報酬、非金銭的報酬を含めた全部)を捉えたもので、賃金、賞与、退職給付(退職金、企業年金)、福利厚生だけでなく、ワーク・ライフ・バランスに配慮した人事制度や働きやすさ、組織風土、能力・キャリア開発などさまざまな要素からなる。
 自己啓発支援は、こういったトータル・リワードの要素としては、あまり考慮されていない。なぜなら自己啓発が個人の私的領域での活動、もっと端的に言うと、個人の趣味のように思われているからだ。そのため就業時間後に社会人大学院に通う従業員も、スポーツクラブの会員となって仕事帰りに汗を流す従業員も、教養を深めるためにワイン教室に通う従業員も同列に扱われる。もちろんスポーツを楽しむことや、料理やお酒の造詣を深めることは悪いことではない。しかし、それらと自己啓発は切り離して考える必要がある。自己啓発支援を単なる福利厚生と捉えて、数多いカフェテリアプランの中の一つの選択肢として考えることは自己啓発支援の本質を見誤っていると言わざるを得ない。自己啓発支援への支出は、賃金等と同じ位置づけとして考えるべきだ。
 トータル・リワードのうち、金銭的報酬の要素を捉えてトータル・コンペンセーションと呼ぶことがある。コンペンセーションは「補償、損害賠償」という意味で、賃金、賞与、退職金などは従業員の労務提供という経済価値に対する見返り・補償ということになる。1時間の労務を提供することは、1時間分の自由時間を失うことなので、1時間分の賃金がコンペンセーション(補償)として支払われる。
 従業員が会社で働くということは、自分の自由時間を失っているだけではない。他の会社で働いていたら得られたであろう「キャリア」も同時に失っているのである。キャリアというと抽象的に捉えられがちだが、働く者にとっては財産である。従業員は、日々会社で働くことで、本来築けたであろう別のキャリアを手放し、その企業でしか通用しない固有のスキル(ファーム・スペシフィック・スキル、firm specific skill)を身に付けていく。困るのは会社を辞めるときだ。従業員はファーム・スペシフィック・スキルの分だけ目減りしたキャリアという財産を持って、他の就労先を探さなければならない。

自己啓発支援はキャリアの機会損失への補償

 退職金もコンペンセーションという視点で捉えると、しっくりくる。退職金の法的性格については通常、功労報償説(長年勤続または在職中の功績・功労に報いるために退職時に金銭を支払うという説)、賃金後払い説(労働者の在職時に支払いを留保された賃金を退職時にまとめて支払うという説)、生活保障説(労働者の退職後の生活費の補てんのために退職金を支払うという説)の三つで説明される。しかし、今日的な退職金の位置づけを考えると、「キャリア補償説」とでもいうべき解釈で捉え直したほうがよいと思う。実際、一つの企業に長期間勤務することで、自分なりのキャリアを展開する権利(キャリア権、諏訪康雄、1999)や財産としてのキャリアは一定範囲で制約を受ける。
 退職金のキャリア補償としての性格が顕著に現れるのが、リストラである。リストラ時は通常退職金の上乗せが行われるが、その場合の上乗せ退職金(割増退職金)については功労報償説、賃金後払い説では説明がつかない。会社側から一方的に退職を求めることで、従業員のキャリアは中断され、財産としてのキャリアは退職と同時に大きく目減りする。その分の補償が割増退職金と考えると理屈は通る。
 以上から考えると、特定の企業で働き続けることで失うキャリアを補償する自己啓発支援の重要性が明らかになる。従業員の労務提供(自由時間の提供)に対するコンペンセーションが「賃金」であるのと同様に、従業員のキャリアの損失に対するコンペンセーションが「自己啓発支援」に当たる。自己啓発支援とはまさにキャリアの機会損失(機会費用:opportunity cost)に対するコンペンセーション(補償)なのである[図表2]

[図表2]キャリアの機会損失と自己啓発支援との関係

自己啓発支援は企業のリスクヘッジにもなり得る

 自己啓発支援は、自律・自己責任という企業からのメッセージに対する従業員の納得感を高めるのと同時に、将来の労務リスクを低減する可能性もある。日本の解雇法制は厳格で、客観的に合理的な理由がなく、社会通念上も相当ではない解雇は許されない(労働契約法16条)。そのため企業業績の悪化に伴う整理解雇であっても容易に認められない。ましてや今後増えると予想される企業体質強化を目的とする予防型の整理解雇の場合、さらにハードルが高くなる。しかし、企業が継続的に雇用を確保し続けるためには、変化する外部環境に対応し、事業領域や事業内容を柔軟に変えて行かざるを得ない。つまり、逆説的だが雇用を確保するために、事業構造を変革するリストラは不可欠なのである。もちろん配置転換等で人員数を維持し、ソフトランディングを目指すべきであることは言うまでもないが、それには限度もあろう。
 そこで仮に整理解雇をせざるを得なくなった場合、解雇の合理性・相当性の判断要素として企業の自己啓発支援活動が一定程度評価されるのではと考えている。整理解雇の4要件(要素)の一つに解雇回避努力義務の履行がある。解雇を行う前に、企業としてどれだけ解雇を回避する努力をしたかが問われるのだが、この努力がまさに自己啓発支援なのである[図表3]。自己啓発支援を行うことで、従業員のエンプロイアビリティの向上につながり、解雇されるリスクがそれだけ低下する。
 自己啓発支援が解雇の合理性・相当性を補充すると考えるには根拠がある。能力不足などを理由とする普通解雇では、解雇する前にどれだけ指導を積み重ねたかが解雇の合理性・相当性に大きく影響する。一度きりの指導ではだめで、ある程度の期間継続的に指導を続けて、それでも改善が認められない場合にのみ解雇が有効となる(トライコー事件 東京地裁 平26. 1.30判決)。部下への継続的な指導は解雇回避の努力といえる。企業の自己啓発支援は、この長期にわたる継続的な指導と解雇回避の可能性が高まるという点では同じである。

[図表3]解雇の合理性・相当性と自己啓発支援の関係

自己啓発支援と解雇法制の未来

 解雇の金銭解決制度がしばしば政策議論の俎上に載るものの、導入される見込みはまだ立っていない。しかし、解雇の金銭解決制度が導入されていなくとも、実態としては解雇紛争が金銭で解決されているケースが圧倒的に多い。労働者には就労請求権が認められていないので、裁判で労働者が勝訴しても労働者は希望する職場に復帰できない。一方、会社としてもいつまでも労務提供を拒否して、賃金だけ支払い続けるわけにもいかない。そこで話し合いがなされ、最終的にはお金で解決が図られているのが実態である。
 この解雇の金銭解決制度は、裁判で解雇の正当理由が否定され、解雇無効と判断された場合に初めて認められる措置で、企業の不法行為(他人の権利ないし利益を違法に侵害する行為)に対する一種の損害賠償的な性質を持つものである。企業から支払われる金額が高額であるため、不当解雇に対する単なる慰謝料だけではなく、何らかの財産的な価値に対する補償と考えられている。この財産的な価値を持つものを、従業員が退職によって失うことになる将来および過去の「キャリア」であると考えても違和感はないであろう。
 ヨーロッパでも解雇時に金銭を支払う制度があるが、こちらは違法な解雇だけでなく、通常の解雇でも支払うという話を聞いた。その背景には、キャリアの財産的価値への配慮があるのだと考える。そう考えると、仮に解雇の金銭解決制度が日本で導入されたとすると、次に問題になるのは、違法性のない解雇の場合での金銭支払いである。
 解雇の金銭解決制度もまだ導入されてはいないので絵空事に過ぎないが、解雇の金銭解決制度が導入され、違法性のない解雇の場合でも金銭支払いが必要となった場合、企業が自己啓発支援のための支出を継続的に行い、実質的に従業員のキャリアの目減りに対する補償を行っていれば、解雇時の金銭支払額が割り引かれるようになるのではと考えている。

ラーニング・プラットフォームの変容

 企業の自己啓発支援が本格化すると、既存の研修会社や研修講師も変革を迫られる。研修会社のビジネスモデルは、企業から研修のオーダーを受け、契約講師の中からオーダーに合った講師を人選して研修会場に送り込むというデリバリーサービスが本質である。ある意味、ピザの宅配と変わらない。契約講師も自身が得意とするテーマの研修を繰り返しているだけで、自身の能力開発にはあまり関心を持っていない方が多い(筆者も研修講師を業としているので、自戒を込めて書いている)。
 今後、企業の自己啓発支援のウエートが高まると、個々の従業員視点に立った多様なサービスが求められるようになる。これまでのようにBtoBで発想していてはだめで、BtoCやBtoL(Lはlearner、学習者)の発想が必要である。一方、講師も受講者と同じ学習者目線で新たなトレーニング・プログラムを開発する必要がある。つまり、講師にはLtoLの発想が求められるようになる。
 現実の世の中を見ると、社外の勉強会やワークショップが盛り上がりを見せている。多くは個人が主体的にメンバーを集めて開催している。問題意識を持つ者どうしが集まり課題を共有しながら、自らの学びを深めている。これこそ自己啓発である。これらの主催者の中からプロ化する者が今後現れてくる。LtoLの発想を持った自己啓発支援のプロが増えることで、自己啓発支援環境(ラーニング・プラットフォーム)が多様化し、企業ニーズの受け皿になっていくことが想定される。

企業の自己啓発支援はますます重要になっていく

 以上のように、従業員の自己啓発支援は従業員の能力アップを通じて、従業員のエンプロイアビリティを高め、解雇の違法性を低下させ、最終的な企業の労務リスクを低下させる。自己啓発支援を積極的に行い、従業員に自己啓発を促すことは従業員に自律・自己責任を求める企業のスタンスとも整合性がとれるだけでなく、自己啓発支援はキャリアの陳腐化を実質的に補償し、従業員のかけがえのない人生を実りのあるものにする。AI・ロボティクスで働く者の職域が大きく変容すると言われている昨今、企業の自己啓発支援はますます重要になっていく。自己啓発支援環境も次第に整備され、企業ニーズの受け皿になっていくだろう。

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