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各界の識者に学ぶ―「人生100年時代」のビジネスパーソンの生き方・働き方 [2019.12.19]

第1回 楠木 建 氏(上)

高度成長期の常識を、そろそろ頭と体から
抜かなければいけない

楠木 建 くすのき けん
一橋ビジネススクール 教授
1964年生まれ。89年、一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。
一橋大学商学部専任講師、同大学同学部助教授、同大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、同大学大学院国際企業戦略研究科准教授を経て、2010年から現職。専攻は競争戦略とイノベーション。
『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年、東洋経済新報社)、『「好き嫌い」と経営』(2014年、東洋経済新報社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年、文藝春秋)など著書多数。

インタビュアー: 佐藤文男(佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役)

はじめに

2019年5月にWEBで連載した「人生100年時代『生涯現役』に向けた40代からのキャリア戦略」(佐藤文男)では、40~50代のビジネスパーソンに向けて、生涯を貫く仕事を持つことの大切さとその具体的なノウハウについて解説した。
今回の連載は、その第2弾という位置づけで、各界で活躍されている方をゲストに迎え、これからのビジネスパーソンの働き方や仕事との向き合い方、キャリアの在り方など"これからのビジネスパーソンの姿"について語っていただいた。
※本連載は識者2名へのインタビューを4回の連載でお届けします。

 

定年制や新卒一括採用、終身雇用や年功序列は、
決して日本の伝統ではない


[1]日本における労働関連の仕組みは、高度成長期に最適化する形で
 定着した

人生100年時代を迎えるに当たって、95歳まで生きるには年金だけでは生活資金を賄えず、夫婦で2000万円の資産の取り崩しが必要になるとの試算が本年7月の参議委員選挙の前に出され、世間を騒がせました。
先生は、今後のビジネスパーソンの働き方はどう変わっていくとお考えでしょうか。

楠木 年金等の話に関しては、ことごとく「何とかしてくれ」という構えになりがちです。しかし、本来は一人ひとり自立し、自分で考えて行動し、仕事をして人生をなんとかしていくのが大原則だと思います。もちろん、「人間の弱さ」を部分的に補完するために年金のような制度があるのですが。
 最低限、自分の人生に責任を持って、経済的にも社会的にも精神的にも折り合いをつけていくのが、いつの時代もどんな国でも“大人”であるということだと思います。しかし、聞こえてくる話は「どうしてくれるんだ」「何とかしてくれ」。ずいぶん幼稚です。政治も「安心してください」「1億総活躍です」と耳障りのいいことを言いますが、本来政治家のメッセージは「一人ひとり自分の考えで、自分ができる分野で働いてください。あとは政治が何とかします」という順番であるはずです。
 まず個人の自立、独立があって、それを補完するものとして政治や社会保障がある。しかし、子どもが親に面倒をみてもらうようなメンタリティが、年金を巡る議論の背後にあるのは、人間の原理原則に反しているように思えます。それは自分で何とかすることではないのかと思うのです。
 そういう意味で、「定年」という考え方があることも不思議です。日本における労働関連の諸制度は、高度成長期に最適化する形で定着したものです。高度成長期はもう終わって久しいと頭では分かっていながら、体が現実についていかない人が多い。高度成長期を前提として考えるのはいい加減に卒業するべきだと思います。
 定年制や新卒一括採用、長期雇用や年功序列などを指して、日本的経営だと言われます。しかし、これらは日本的経営でもなんでもありません。現代でも、アメリカのような大国と比較して日本の問題点を挙げて「日本は駄目だ」と言っています。戦前昭和一桁の頃も同じ論調でした。ただし、議論の向きが正反対でした。当時は、アメリカは長期雇用なのに日本企業はそうではないから駄目なのだと言っていたのです。1900年頃から巨大化していったアメリカの大規模企業組織、典型的にはフォード・モーター・カンパニーなどを念頭に置いて、“アメリカでは企業が一つの社会、家族として経営されており、人々は長期雇用下で会社にロイヤルティを持って働く。日本はあまりにも労働流動性が高く、給与の支払いがいい会社に簡単に転職していく”といった比較論です。当時の日本の産業は金融財閥支配下にありました。財閥というのは、要するに持株会社です。こうした金融資本のロジックで動いているので、企業は短期的なキャピタリゼーションばかり追いかけ、労働市場では人がどんどん会社を移動していく。だから技術が蓄積しないし、いつまでたっても産業化が進まない。日本にも、アメリカのような長期雇用の大企業がなければ駄目だと戦前には言っているのです。

現代とは真逆の論調ですね。

楠木 フォードはデトロイトで企業城下町を形成していました。黒人も含め労働者が南部からやって来て、社宅など福利厚生も手厚いのでみんな一生勤め上げ、子どもたちも同じ団地で育っていったのです。シュープリームスとかテンプテーションズを送り出したレコードレーベルのモータウンは、所属アーティストの親はみんなデトロイトの工場労働者です。そうやって、アメリカの企業は一生安定して暮らせるマネジメントを行っているのに、片や日本は流動的すぎると言っていた。つまり、終身雇用や年功序列というのは日本の文化でも何でもありません。狩猟民族だの農耕民族だのという民族性の違いを強調する人たちがいますが、まったく底の浅い話です。100年ももたないものを文化とは言いません。

[2]年功序列や終身雇用は超弩級のイノベーションだったが、
  役目は既に終えている

楠木 一方で、日本における年功序列や終身雇用は、戦後の復興期に生まれた超弩級の経営イノベーションだと考えています。年功序列は非常に優れたシステムで、あれほどトランスペアレント(透明)で、あらゆる人事管理コストをゼロにするものはありません。アメリカ型の経営システムですと、評価・採用コストが非常に大きくなりますが、新卒一括採用・長期雇用・年功序列ではこれらのコストを限りなく低く抑えることができます。
 普通に考えれば、賃金や昇進というのは、その人の投入した労働の価値に対する対価です。それとまったく無関係に、年齢や勤続年数で決めるというのは、ある種の“ウルトラC”なんです。しかし、高度成長期においてこの仕組みは経営、労働者双方に大きなメリットがあったので、多くの企業で定着し、経済成長のエンジンの一つになりました。
 ただし、人間で言えば青春期というのはせいぜい5~10年です。それと同じように、国や地域の経済でいう高度成長期とは一種の“青春期”なので、長くても10~15年間しか続きません。年功序列や終身雇用という仕組みは、高度成長という異常な時期に異様にフィットしていた。この革新的なアイデアが、たまたま日本という国で花開いたというだけで、文化的な根拠があるわけではありません。経済的には、現在のように追い風が吹いてない状態のほうが普通なのです。

今や終身雇用も薄れ、転職も一般的になってきました。経済や企業の成長に法則性みたいなものはあるのでしょうか。

楠木 そもそも資本主義や市場メカニズムには、成長という要素はありません。成長は外生的なものです。では何が経済成長をもたらすのかといえば、「イノベーション」もありますが、最もストレートな要因は人口の増加です。しかし、現代の日本において人口増は望めません。ヨーロッパは以前から人口は停滞していますし、中国ですらもうありません。国ごとに順繰りで青春期がやって来るわけです。かつての産業革命時代のイギリスを中心としたヨーロッパ。次いで第1次世界大戦後のアメリカ。そして第2次世界大戦後の日本に青春期が来ました。近年では中国に来て、これからミャンマーに来るかもしれません。国を超えて順繰りに異常な時期が来るだけの話です。つまり、日本においては、今まで異常な経営システムが定着していたのです。経済全体が一方的に伸びていくという状況がない限り、年功序列・終身雇用は論理的に破綻します。社内のポスト数だって限られますし、企業が支払える労働分配の総額も決まっている中で、誰もが右肩上がりに伸びていけるというのはあり得ません。

現代において、日本は低成長期を迎えています。そうした中で経営に求められるものはなんでしょうか

楠木 日本における新卒一括採用・長期雇用・年功序列は、高度成長期という特異な時期に非常にフィットして大成功しました。ただ、今は普通の状態に戻っているので「普通の経営」が求められています。個人も会社や仕事を選び、会社側も人を選ぶ。その人の貢献やポテンシャルなど将来の貢献、要するにその人が提供できる価値への対価として報酬が発生するというのが普通の経営です。すなわち「相互選択」ということです。
 先ほど申し上げたように、既に日本は“青春期”を終えました。頭では市場が成熟し低成長下にいると分かっていても、体は高度成長期のまま「終身雇用ではないのはおかしいんじゃないか」「年を取っても、ずっと給与水準が保証されるのが当たり前ではないか」と考えてしまう。いや、そういう状態こそが異常なんだ、というのが私の考えです。

 

国内市場が停滞・縮小する中で、
これからのビジネスをどう考えるか


[1]日本にいても国境を越えた仕事をするケースは増えてきている

楠木先生は、今後海外に拠点を移動されて、現地に赴任して仕事をされるというお考えはあるのでしょうか。

楠木 もともとアジアを中心としたグローバルなビジネスのために貢献したいという気持ちはあります。現在教えている一橋ICSには、2000年に着任して20年近くになります。一橋ICSの授業はすべて英語で行われ、9月開始の学年歴を採用するなど、世界のトップビジネススクールに匹敵するプログラムを提供しています。私が教えている講義の一つに「Doing Business in Asia」があります。一橋ICS、ソウル大学ビジネススクール、北京大学ビジネススクールに在籍するMBAの学生が一つのクラスを構成し、東京・ソウル・北京と三つの学校を渡り歩きながら、それぞれ1週間、現地でフィールドワークを行い、アジアでビジネスをすることについて考えるという講義です。教育領域でも、そういう形で国境を越えて仕事をするケースは増えてきていますし、ビジネスだとさらに増えているのではないでしょうか。ロケーション、つまり自分がどこにいるかは、昔に比べるとあまり意味を持たなくなっていると思います。

今はインターネットもありますし、どこにいてもグローバルに仕事ができる環境が整っていますね。

楠木 一橋ICSの場合、少数精鋭でMBAプログラムの学生は約50人ですが、約20カ国から来ており、日本人は20%しかいません。日本に興味があり、日本で、あるいは日本と商売をしたいという人たちが来ています。授業は英語で行っていますが、近年ではアジア各国からの学生が増えており、みんな便宜的に英語で会話をするため、以前に比べると英語でのコミュニケーションはやりやすくなっています。この20年でもずいぶん変わりました。

[2]日本人からアグレッシブさが失われているのは問題なのか

授業をしていて、日本の学生と韓国、中国の学生とで、マインドの違いはありますか。

楠木 日本、韓国、中国とどの国に行ってもいろいろな人がいますから、あくまでも“平均値”で捉えて話すと、私は国民性というよりも時代の産物という面が強く影響していると考えています。20年前に学びに来ていた中国の学生と、現在学びに来ている中国の学生は全然違います。昔の学生のほうがはるかにアグレッシブでした。当時の中国は急速な経済成長により勢いがありました。たぶん日本でも、高度成長期の昭和40年代の20代は、今と比べてアグレッシブだっただろうと思います。
 特に若者は“時代を映す鏡”です。現代の日本人が意気消沈しているというよりも、高度成長期は誰もが根拠なく元気だったということでしょう。ハングリーであるほうがアグレッシブになるに決まっています。ただ、アグレッシブであっても、おとなしくなっても、それ自体は価値中立的で良いとか悪いとか、そういう話ではありません。高度成長期に比べておとなしくなったかもしれませんが、それは上品で成熟した、思いやりがあるという良い面を伴っています。高度成長期に日本人はエコノミックアニマルと揶揄され、アグレッシブにビジネスを行っていました。時代が下るに従って、それが韓国になり、中国になり、ミャンマーになり――というように、活気のある国は移り変わっています。しかし、そこを比較して今の日本人はアグレッシブじゃない、内向的だと言っても仕方がありませんし、私は成熟とはそういうものだと考えています。インドのように人口が多ければ、それは一定のプレゼンス(存在感)があります。もしも日本が人口10億人の国だったなら、国内市場が停滞していても、相当のプレゼンスあったと思います。しかし世界の中で日本は小国です。こうしたもともとの前提条件の違いを考えるべきだと思います。

インタビュアー佐藤文男(佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役)
1984年一橋大学法学部卒業後、日商岩井、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券、ブリヂストン等異業種においてキャリアを積み、1997年より人材紹介ビジネスの世界に入る。2003年10月に佐藤人材・サーチ株式会社を設立して代表取締役社長に就任。本業の傍ら、2017年4月から山梨学院大学の経営学部客員教授として「実践キャリア論」の授業を実施する。著書は今まで18冊(共著1冊)を出版する。

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