藤井 隆さんインタビュー [2011.03.07]

藤井 隆さんインタビュー(1)会社員として働くかたわら、吉本新喜劇へ。そして、タレントの道を選んだ


会社員時代に吉本新喜劇のオーディションに合格し、タレントの道へ――。異色の経歴を持つ藤井 隆さんが、それぞれの経験を通じて得たものとは? その“仕事論”を、大いに語ってもらった。
(文:千葉はるか)

■会社員時代の仕事に学んだ、
周囲の人への配慮の大切さ

多数のレギュラー番組やMCを務める番組を持ち、常に第一線で活躍を続けている藤井 隆さん。タレントという仕事はまさに天職のように見えるが、実は企業に勤めて経理の仕事を担当していた経験を持つ。吉本新喜劇に入った当初は、会社員との“二足のわらじ”生活を送っていた

「僕には年の離れた兄がいるんです。ずっと両親と兄が仕事に行く姿を見ていたので、幼いころから『働く』ということに興味がありました。それで、高校卒業後にすぐ就職したんです。勤めていた会社では周囲の方々にとてもよくしていただいて、ありがたかったですね。
仕事を通じて学ばせていただいたことも、たくさんあります。

例えば、当時の経理の仕事は紙の帳簿からパソコンへの移行期にあって、紙にもパソコンにも同じデータを記録していたんです。僕は高校時代にアルバイト先で尊敬する先輩から『効率を考えて作業することが大切だ』と教えていただいていたので、最初は『帳簿とパソコンが併存しているのは非効率だな』と感じました。でも、急に紙の帳簿がなくなると、年配の方は困るわけです。『仕事では、効率だけが大事なわけではない。周りの人のことを考えることはもっと大切』ということを教えられました

会社員として働くかたわら、なんとなく受けてみた吉本新喜劇のオーディションに合格。芸能の世界は新鮮で、「大学生のサークル活動のようなノリ」で楽しみながら週末にレッスンへ通う日が続いた。

もっとも、当初は会社を辞めるつもりはなかったのだという。仕事には真剣に取り組み、「海外子会社の経理をやってみないか」と声をかけられるなど、責任ある仕事を任されるようにもなっていった。安定した仕事を辞め、タレントの道に進むと決めたのは、深夜番組のレポーターの仕事を始めて半年ほど経った時のこと。

「子どものころのことを振り返ると、もともと僕はスチールカメラマンになりたかったんです。会社員もタレントも、どちらもなりたいと強く望んだ職業ではなかったという意味では同じ。ただ、『タレントの仕事は一度あきらめたら再挑戦はできないだろう』という気がしたんです」

テレビでは、司会者としてゲストを迎えることも多い藤井さん。もちろん、番組のホストとして場を仕切って盛り上げていくことが、そうたやすいはずはない。長年にわたってその役割を果たしつづけてきた秘訣はどこにあるのか。

「いや、僕自身は『自分はまだまだ』という思いが強いんですよ。心に留めていることがあるとすれば、常に変化し続けるということでしょうか。これは、今から12年ほど前に、構成作家の方から『せっかく新番組が始まるなら、何かひとつは新しいことを準備しておきなさい』とアドバイスいただいてからずっと心がけています。
もちろん、諸先輩方がつくってきたすばらしい番組がたくさんありますから、オリジナリティを生むのは口で言うほど簡単ではありません。それでも、カメラのアングルでも、流行らせたい言葉でも何でもいい、ひとつでもいいから、『去年とは違う』『新番組は前の番組とは違う』と感じていただきたいと思っています

藤井 隆(ふじいたかし)Profile
1972年大阪府生まれ。会社員として働くかたわら92年に吉本新喜劇プロジェクト(YSP)に入る。以後、活躍の場をテレビやラジオなどに広げ、歌手、俳優、司会者としてマルチな才能を発揮。現在は「金曜日のキセキ」(フジテレビ)、「全快はつらつコメディ お笑いドクター24時!!」(ABC)、「あらびき団」(TBS)、「発見!仰天!!プレミアもん!!!土曜はダメよ!」「音の素」(読売テレビ)、「となりの子育て」(NHK教育)などにレギュラー出演している。最新出演作となるDVD『あらびき団 第2回本公演~ミュージックパワー~』(よしもとアール・アンド・シー)が発売中。3月18日からは吉本芸人が大集合する「第3回沖縄国際映画祭」が開催される。

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