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日本人事 ~プロが語る 人事魂~
テイクアンドギヴ・ニーズ取締役 桐山大介さん
[2011.08.24]

【日本人事】人事は経営そのもの テイクアンドギヴ・ニーズ取締役 桐山大介さん(1/3)

日本人事 ~人事のプロから働く人たちへ~(9)
第3回 テイクアンドギヴ・ニーズ取締役 桐山大介さん

取材・文:溝上憲文(ジャーナリスト)

人は企業の成長の源泉であると同時に、時に経営の足を引っ張る“コスト”に転じかねない存在にもなる。人事の役割とは何か、経営と人事の関係はどうあるべきか。こう自問自答せざるを得ない場面に人事パーソンならだれしも遭遇するだろう。
ハウスウエディング事業を展開するテイクアンドギヴ・ニーズ取締役の桐山大介氏もそうした場面に何度も直面した1人である。悪戦苦闘しながら自分なりの“解”を見つけ出そうと模索を繰り返してきた。その桐山氏が長い人事体験から獲得した人事と経営の関係の在り方とは何か。

根っこが十分に育っていないリンゴの木を、経営者に気に入られるために早く実らせようとしてはいけない

「人事は経営そのものです。経営が1本の木であるとすれば、その木の根っ子に人事はいます。経営者が利益を追求する存在であるとすれば、利益を生み出す源泉となる根っこの成長を見守るのが人事の仕事です。
リンゴの木にたとえるなら、経営者は絶えずリンゴの木を早く実らせたいと思います。しかし、それに人事が荷担したら、根っこはどんどん細ってしまう。根っこが十分に育っていないのに経営者に気に入られるために実らせようとする人事パーソンになってはいけません」

こうした人事パーソンとしての価値観を築き上げる原点となったのが、大学卒業後に入社した日本軽金属(以下、「日軽金」と省略)での強烈な人事体験だった。

日軽金は、アルミニウムの総合メーカーとして戦後の日本経済を支えてきた重厚長大産業の一つである。しかし、1970年代の2度のオイルショックを受けてアルミ産業は国際競争力を失い、政府は構造不況業種に指定し、アルミ精錬メーカーの多くは廃業と撤退が相次いだ。日軽金も例外ではなかった。事業規模の縮小を図りつつ、昭和50年以降は、新規大学卒の募集を一時停止するなど人員の合理化も余儀なくされた。

桐山大介さん(テイクアンドギヴ・ニーズ 取締役) 

「私たちの強みは、“腐っている”という認識を持っていること」という会社幹部の発言に感銘

桐山氏が入社したのは、1987年。日軽金としては事業再編を進めながら、成長事業の開拓によるV字回復を目指して全社一丸となっている時期であった。

当時の就職環境は売り手市場であり、それほど苦労せずに内定が得られた時期である。そのなかで大手企業とはいえ、なぜ斜陽の日軽金を選んだのか。桐山氏は、会社説明会での会社幹部の発言に惹(ひ)かれたという。

「1980年以降に採用活動を徐々に始めたのですが、従来の東大、一橋といった一流大学に絞った採用ではなく、学校名を問わずに、おもしろい人間を採用しようとしていました。『会社がダウンサイジングをしている時期でもあり、次代の日軽金を背負うのは、私たちではなく、君たちであり、君たちの知恵を必要としている』と話すのです。そして、『“腐っても鯛”という言い方があるが、私たちは腐った鯛かもしれないという自己認識を持っている。他の重厚長大系の企業はわかりませんが、私たちの強みは腐っているという認識を持っていることだ』と、説明会で堂々と話すのです。この会社はすごいなあ、若くてもいろいろやらせてくれるかもしれないと思ったのです」

事務系の新卒入社は6 名のみ。研修後、人事部門に配属された桐山氏は、数年前に吸収合併した子会社の工場で勤労担当として2年間勤務する。工場の従業員は約800人。主要幹部は工場長をはじめ旧日軽金出身者が占め、同期事務系の配属では桐山氏1人だけだった。管理部門の社員が少ないために、一兵卒ながらあらゆる仕事を任された。

しかし、過去の親会社と子会社という関係もあり、いわゆる本社のエリート組である桐山氏への風当たりは強く、旧日軽金の定期学卒ならば、どれくらいのことができるのだ、という厳しい目線があったという。

「ある部署で、『我々より早く係長になる桐山さんが配属になりました』と紹介されました。どうも冗談のようでそうでもない。私が入社する前に大きなリストラがあり、その直後の旧親会社からの新卒配属ですから、微妙な空気感がありました。現場の実習を受けている時にも、処遇や給与のことを聞かれる。正直、社会の現実は、厳しいと思いました。」

それだけではない。日常の業務においても、新卒とはいえ、立場上、既に決裁権限が委譲されている。年齢的に先輩になる社員に「これはどうすればいいのですか」と聞いても、「ご自身で調べてご自身の答えを出してください。」と返される。当たり前といえば当たり前であるが、入社1年目の社員にとっては、精神的にもこたえただろう。

最初に手掛けた大きな仕事は採用。方法論も知らなかったが、一人でやるしかなかった

その桐山氏が、最初に手掛けた大きな仕事が従業員の採用である。

当時はバブル前夜。受注が拡大し、増産体制に入っていた。しかし、工場の従業員はリストラにより半減しており、生産が追いつかない状況にあった。桐山氏は工場幹部に呼ばれ、「人を集めろ」と命じられた。だが、そう言われても、工場では10年間採用活動はしておらず、どのようにやればいいのか、だれもノウハウを知る人はいなかった。

「工場長は『予算はとってある。5000万円ほど。どうするかは任せる』とおっしゃった。新卒の僕には金額が多いのか、少ないのかも分かりません。さらに、どうやればいいのかも分かりませんし、他にスタッフがいるわけでもない。結局、1人でやるしかなかったのです」

最初に手掛けたのは、高校卒社員の採用だった。手探りで就職説明用のパンフレット、工場の製造現場のビデオを1000万円で作製。1人で北海道から九州の工業高校を飛び回った。地方は交通の便がよくない。レンタカーのワゴン車に資料を積み込み、高校を回り、進路指導の先生に「よろしくお願いします」と挨拶する。しかし、当時はどこの企業も人手不足であり、楽に獲得できるほど甘くはなかった。つらい目にもあった。

若造一人、多勢に無勢。とにかく工夫するしかなかった

熊本空港からレンタカーでフェリーに乗船し、長崎の高校に出向いた時のことだ。高校の駐車場には立派な黒塗りの車がずらりと並んでいた。窓口で挨拶すると事務の方が「どうぞこちらに会社名をご記入ください」と言われ、受付簿を見ると、日本の超一流企業の社名が並び、どの会社も人事の部長クラスをはじめ3人の名前が記入されていた。

しばらく待たされた後、担当の教師に面会すると「何をやっている会社ですか」と問われた。勢い込んで話し始めると、「すみません。時間がないので10分でお願いします」とさえぎられた。桐山氏は「あなたに会うために熊本からフェリーに乗ってやってきたのに10分とは何だ」とさすがに憤りを感じたが、口には出せなかった。

「他の企業はお偉方と部下、こちらは若造1人。多勢に無勢です。同じやり方では話も十分に聞いてもらえないし、これではダメだなと痛感しました。それで翌日、電気屋さんに行って、テレビデオ(ビデオが内蔵されているテレビ)を買いました。それからトロフィーを売っている店に行き、テレビに『贈 日本軽金属株式会社』という金文字を刻んでもらい、高校に行きました。テレビを自分で運び、『ビデオを作ってきましたので、ぜひ見てください』とお願いしたのです。そうやって、自分で工夫しながら懸命に採用活動を行いました」

Profile
桐山大介(きりやま だいすけ) テイクアンドギヴ・ニーズ取締役
1987日本軽金属入社。その後、外資人事コンサルタント会社、日本のベンチャー企業の上場など、一貫して、人事業務に携わる。04年、テイクアンドギヴ・ニーズ入社。取締役人事部長を経て、現職。


「日本人事 ~人事のプロから働く人たちへ。時代を生き抜くメッセージ~

これは人事の指南書ではなく、企業人事の第一線で活躍する人事パーソンからの、等身大のメッセージ。それが「NIPPON JINJI」です。

労務行政研究所 編
取材・文 斎藤智文/溝上憲文
A5判・336頁・1,890円(本体1,800円+税)

登場する人事パーソン(会社名50音順)
[アサヒビール株式会社 執行役員人事部長]丸山高見氏、[株式会社資生堂 人事部部長]高野幸洋氏、[東洋エンジニアリング株式会社 元人事部長]遠藤勝己氏、[トヨタ自動車株式会社 常務役員]吉貴寛良氏、[株式会社テイクアンドギヴ・ニーズ 取締役]桐山大介氏、[株式会社良品計画 代表取締役会長]松井忠三氏 ほか


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