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日本人事 ~プロが語る 人事魂~
トヨタ自動車 常務役員 吉貴寛良さん
[2011.07.15]

【日本人事】アメリカ人には通じない“トヨタ生産方式”ー「日本的なあうんの呼吸や以心伝心というのは、アメリカ人には通用しません」~トヨタ自動車株式会社 常務役員 吉貴 寛良さん(3/4)


日本人事 ~人事のプロから働く人たちへ~(7)

トヨタ自動車株式会社 常務役員 吉貴 寛良 さん

取材・文:溝上憲文(ジャーナリスト)
撮影:トリニティ

企業において、一人ひとりの社員の力を引き出す役割を担い、企業競争力のカギを握るのが人事部です。 「日本人事─NIPPON JINJI」では、経験豊富な人事パーソンに、仕事を通じて味わった「つらさ」「喜び」「やりがい」など、 人事として働くことの原点・本質を語ってもらいました。
トヨタ自動車株式会社 常務役員の吉貴 寛良さんは、80年代後半の同社のグローバル化の最前線で奮闘してきました。「カイゼン」や「カンバン(ジャストインタイム生産システム)」に代表されるトヨタの生産方式は、現在では世界中の企業から尊敬と研究の眼差しを集めています。しかし、その黎明期には、アメリカ人に理解してもらい、根付かせるために、多大な労苦を要しました。

アメリカ人には通じない「トヨタ生産方式」

吉貴 寛良さん(トヨタ自動車株式会社 常務役員)

法律事務所で“修業”を終えた吉貴氏は、当然、TMMに異動し、工場の第一線で働くことになると思っていたし、自身も希望していたが、突如、本社に戻された。海外進出計画が相次いで浮上し、その作業に駆り出されたのである。

「本社ではイギリス、台湾など海外進出の案件が目白押しであり、進出に向けたフィジビリティ・スタディなど立上げの準備に関わりました。当時の海外人事課の遊軍の部隊として、海外の労働条件の素案を作成し、現地の決済を取るなどの仕事です。人事に限らず、どの部署も進出に向けた業務に忙殺されました」

まさに、過去に成功モデルが存在しない仕事である。海外生産拠点の拡大という未知の領域の仕事が、吉貴氏らの世代に託されたのである。教えを請いたくても、経験者もいなければ、手本となる資料もない。それこそ「会社の先輩がアドバイスしてくれる仕事ではなく、自分で考えていくしかない仕事でした」と当時の苦労を話す。

1989年、吉貴氏は念願のケンタッキーのTMMに人事コーディネーターとして出向する。TMMは86年に工場の建設に着手し、88年5月に第1号の自動車の生産を開始していた。とはいっても、人事・労務上の問題を含め、組織を本格的軌道に乗せるまでには様々な課題が山積みしていた。吉貴氏の主な仕事は、「現地のアメリカ人のラインマネジメントについてアドバイスしながら、人事制度や教育制度を作り、それを根づかせるということにありました」と語る。

事業を成功に導くための最大の課題は、人事労務管理以前に、いかにトヨタ自動車の生産方式を現場の従業員に根づかせるかということであった。このときの吉貴氏の前任者が、先程の同じアメリカの法律事務所で研修を受けた先輩であり、86年8月に赴任した畑氏である。畑氏は、2008年に全トヨタの人事スタッフに向けた『人事は愛! トヨタ人事の皆さんへ』と題するインタビュー記録を著している。そこには、TMM設立当時の思いをこう綴(つづ)っている。

我々はトヨタが培ってきたトヨタの生産のやり方をそこへ導入するしかない、もし成功する可能性があるとすれば、それが唯一の道だろう、ということでした。それで、ぜひそのための条件整備をやりましょうということになったのです。
条件整備をしていく中でポイントになったのは、「設備」「製品」「仕入先」、それから最大の課題は「人」でした。工場の設備については、ほとんど日本で 使っていたものを持っていくことにしましたし、製品も日本で開発したものを持っていく。仕入先については、当面は日系の仕入先に進出していただく、あるい は、日本から部品を持っていくことにしていましたので、一番の経営課題はやはり「人」でした。アメリカの「人」と一緒にどれだけトヨタ生産方式であると か、それを支える人事労務管理を実現していくのかということが、やはり最大の課題だという意識がありました。

この課題は、吉貴氏にも引き継がれた。吉貴氏は、TMMに95年までの6年間勤務することになる。この6年間に経営と一体となった現場の労務管理を肌で体験することになる。だが、日本では常識であっても、アメリカでは通用しないという様々な異文化のカベに遭遇した。

前述したように、最大の課題は「アメリカの従業員に対して、トヨタの生産に対する考え方をどうやって理解してもらい、根づかせるか」にあったが、想像以上に困難を極めた。

「日本では何も言わなくても、先輩の背中を見ながら覚えるというやり方を長年やってきました。場を共有してさえいれば、あえて言葉にしなくても分かり合えるものであり、そもそも(トヨタ自動車は)三河の田舎者ですから、一々説明してやろうという雰囲気はまったくありませんでした。しかし、日本的なあうんの呼吸や以心伝心というのは、アメリカ人には通用しません。生産のやり方についても、我々には常識であっても、細かい一つひとつについて、なぜそうしているのか、歴史的背景も含めてきちんと説明しなければ理解してもらえません。ところが、いざ説明しようとすると、言葉にするのが相当難しいのです。最初は、途方に暮れました」

トヨタ自動車の強さは、トヨタ生産方式にある。それを支えているのは、組織内に長年集積された企業風土であり、創業以来受け継がれてきた文化といってもいい。生産に対する考え方もトヨタの従業員にとっては空気のようなものであり、それを言葉に置きかえて、アメリカ人に移植するのは至難の技であるに違いない。しかし、それをしなければビジネスの成功はあり得ない。立ちはだかる困難なカベを前に、吉貴氏の手探りの格闘が始まった。

困難の連続、“暗黙知”の“形式知”化作業

当時のTMMの社長は、張 富士夫氏(注2)であった。日本からの出向者が約60人であり、現地の従業員は2000人を超えていた。そのうち、人事担当出向者は吉貴氏を入れて3人だった。現地の従業員にトヨタ生産方式を理解してもらうには、何よりまず言葉で説明したものが必要だと考えた。いわば“空気”を明文化、体系化したものである。

「例えば、トヨタの基本理念から始まり、問題解決の方法であるとか、方針管理について、コンセプトを含めて文字で体系化する作業を行い、次にそれを教育プログラムに落とし込み、訓練を行うというプロセスをかなりやりました。考え方、やり方を一つずつ言葉にしていくわけですが、本社の了解を得ずに勝手に進めるわけにもいかないので、日本にいる偉い人に『これでいいでしょうか』とお伺いを立てるわけです。しかし、皆が『書いてあることはそのとおりだが、これがすべてかと言われると、よく分からんな』と言うのです。こちらとしてはダメだと言われたわけではないので、『いいことにしよう』と判断し、説明の材料に使っていました」

もちろん、それぞれの思いや文化を完璧(かんぺき)に言葉で言い尽くすことは、不可能に近い。吉貴氏らは現場で問題が生じるたびに、トヨタ自動車の内部でよく知る人にヒヤリングを行い、言葉に置きかえる作業を繰り返した。ヒヤリングの矛先は社長の張氏にも向かった。

張氏は、トヨタの生産方式の生みの親である大野耐一氏(注3)に直接指導を受けた、その道のプロである。現場で問題が発生するたびに自ら足を運んでは、問題の解決方法を伝授していた。あるとき、張氏は、吉貴氏らが従業員に教えていた問題解決のQC(品質管理)手法に対して噛みついた。

「君たちが教室のなかで、紙のうえでの問題解決手法ばかり教えるから、変なことになってしまう。現場に行って観察すれば分かることを、机に座って、頭で考えて、五つも六つも『対策』を打っている。僕が現場に行って教えようとしても、手当たり次第に工程の条件を変更してしまい、かえって何も分からなくなってしまう。もうちょっとしっかりやってくれ」と、こっぴどく叱られた。しかし、ここで吉貴氏は引き下がらなかった。

「分かりました。それなら、張さんにインタビューさせてください」

こう言って、明文化の作業に引きずり込んだのである。それから毎週1回、インタビューの時間を決めて、張社長から根掘り葉掘り事細かく聞き出す作業が始まった。

「張さんは自分の豊富な経験に基づいて、『その問題は、ここを見れば分かるよ』と生産ラインの資料を見ながら指摘するのですが、そのたびに『私は分かりません』と言って、突っ込むのです。多分、豊富な経験に基づいて、張さんの頭の回路が動き、こうなった場合は、こういうステップを踏んでここを見ればいいという知見が出てくると思うのですが、しかし、普通の人には分からないのです。ですから、『では、なぜ張さんがここを見れば分かると思うのか、順序立てて説明してください』と言って、再び聞くのです。それを何度も繰り返していたら、『これはちょっと一筋縄ではいかんな』という雰囲気になりました。

それでも当時は、『やり遂げなくてはいけない』という使命感がありました。トヨタ生産方式をアメリカに移植するには、日本では暗黙知だったものを形式知化しない限り伝わりません」

暗黙知を言葉で説明しなければならない張氏も大変であるが、それを執拗(しつよう)に問い質(ただ)す吉貴氏も根気を伴う作業だったろう。しかし、形式知化の必要性を再認識した張氏は、トヨタ生産方式の権化と言われた林 南八氏(現・取締役)(注4)に吉貴氏と一緒になって作り上げるように指示を出してくれたのである。

また、これを契機に張氏自身、現地の従業員と日本の出向者を対象に、トヨタ生産方式について毎週1回、2時間の講義を行うことになった。吉貴氏が通訳を務めた。もとより、吉貴氏もトヨタ生産方式に詳しいわけではない。一連の作業は、吉貴氏にとっても「経営の根幹を知るうえで貴重な経験になった」と語る。

「人事の人間ですから、現場の細部の仕組みに通じているわけではありません。張さんの通訳をずっとやったおかげで、門前の小僧の私が、お経ぐらいは読めるようになりました。また、一連の明文化の作業を通して、トヨタ生産方式の現場の仕組みについても知ることができ、本当に勉強になりました。多分、張さんが話すトヨタ生産方式に関するエピソードの7割から8割ぐらいは知っていると思います」

注2:張 富士夫氏(1937-  )
1960年トヨタ自動車工業株式会社入社。87年トヨタモーター マニュファクチャリング USA取締役執行副社長。88年同社社長。94年トヨタ自動車常務取締役。99年同社社長。2005年同社副会長、06年同社会長。

注3:大野耐一氏(1912-1990)
1932年豊田紡織株式会社(現・トヨタ紡織株式会社)入社。43年トヨタ自動車工業株式会社(現・トヨタ自動車株式会社)に転籍。トヨタ自動車工業の元副社長であり、生産管理の在り方を構築した「トヨタ生産方式」を体系化した。

注4:林 南八氏(1943-  )
1966年トヨタ自動車工業株式会社入社。97年トヨタ自動車生産調査部長。2001年同社技監。09年同社取締役。

Profile
吉貴 寛良(よしき ひろよし)トヨタ自動車 株式会社 常務役員
1957年1月4日生まれ。1980年京都大学法学部卒業。同年4月トヨタ自動車工業株式会社入社(82年7月トヨタ自動車株式会社に社名変更)。2001年1月トヨタモーター マニュファクチャリング ケンタッキー株式会社出向、07年1月トヨタ自動車株式会社衣浦工場工務部部長、09年6月常務役員就任(現任)。10年6月衣浦工場長。11年4月技術管理本部副本部長(現任)。現在に至る。


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これは人事の指南書ではなく、企業人事の第一線で活躍する人事パーソンからの、等身大のメッセージです。
人事担当者一人ひとりに元気と勇気を届ける魂の伝承。それが「NIPPON JINJI」です。

■登場する人事パーソン(会社名50音順)
[アサヒビール株式会社 執行役員人事部長]丸山高見氏、[株式会社資生堂 人事部部長]高野幸洋氏、[東洋エンジニアリング株式会社 元人事部長]遠藤勝己氏、[トヨタ自動車株式会社 常務役員]吉貴寛良氏、[株式会社テイクアンドギヴ・ニーズ 取締役]桐山大介氏、[株式会社良品計画 代表取締役会長]松井忠三氏 ほか


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