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プロが語る 成果を上げる社員の条件【佐藤文男】
日本テレビ放送網 土屋敏男さん編
[2011.06.08]

日本テレビ放送網 土屋敏男さんが語る“デキる社員”の条件 ~「テレビの歴史の中で、だれも見たことがないものを作ろう」という強い思いがあった(2/3)


各分野のプロが語る 成果を上げる社員の条件(26)

土屋敏男さん

(日本テレビ放送網株式会社 編成局エグゼクティブディレクター)

インタビュアー:佐藤文男(佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役)
文:千葉はるか(パンクロ)

各分野で活躍されている10人の方にご登場いただき、“デキる社員”にはどんな思考、行動様式が求められるのかを解き明かす本シリーズ。第9回のゲスト、日本テレビの土屋敏男さんが手掛けた「進め!電波少年」は、それまでのテレビ業界の常識を超えた番組作りで、国民的な人気番組へと大ブレイクしました。第2回は、この「お化け番組」はどのようにして生まれたのか、その知られざる秘密に迫ります。

他局の人気番組と似たような企画・構成で失敗。「テレビの歴史の中で、だれも見たことがないものを作ろう」という強い思いがあった

―大ヒット番組「進め! 電波少年」を手掛けられるのは、いったん編成部に異動して制作部へ戻った後のことなんですね。

35歳で再び制作部に配属になった時、事情があって日曜日の夜の枠が空き、「何でもいいから企画を持ってこい」と言われて考えたのが「電波少年」でした。実は30歳の時は「他局の人気番組みたいなやつを作れ」と言われて、似たような企画・構成で失敗したんです。だから「今度はテレビの歴史の中で、だれも見たことがないものを作ろう」という強い思いがありました。

土屋敏男さん (日本テレビ放送網株式会社 編成局エグゼクティブディレクター)

「電波少年」の企画を思いついたのは、ワイドショーを作っていた時の経験があったからなんです。
当時、アメリカからカーター大統領が来日した際、「カーター大統領が明治神宮に流鏑馬を見に行く」というので撮りに行きました。そうしたら撮影が許可されている範囲には線が引かれていて、カメラはその線からはみ出してはいけないことになっている。でも、撮影しているうちに「5cmくらいなら出ても怒られないんじゃないか」と思って、次は「10cmならどうだろう」というように、少しずつ少しずつ前に出てみたら、途中で気付かれて警備の人に注意されたんです。それが、やけにおかしかった。企画を考えていた時にそれを思い出して、「“怒られるテレビ”って面白いんじゃないか」と思ったんですよ。
当時、テレビは何となく権威のようになってしまっていて、きれいに整えて作られた番組ばかりでした。電波少年の「アポなしで突撃取材して怒られる」というコンセプトは、予定調和ではないところに面白さが生まれると考えたわけです。

「これは外さないだろう」「ヒットする可能性が高い」ではなく、周りが「これって本当に面白いんですか?」というものを作る

「電波少年」は短期間で終わる“つなぎ”番組の予定でした。最初からヒットしたわけではありませんでしたが、そこそこ視聴率がとれていたので「もう少し続けてみようか」ということになったんです。そこからちょっとずつ企画を変えていったら視聴率がぐんぐん伸びて、30%台の視聴率をとれるようになって、最終的には10年半に及ぶ長寿番組にまで成長しました。

―「電波少年」のような番組を生むことができた理由を、どう考えていらっしゃいますか?

今になって思うのは、電波少年の企画を考える時の「ジャンプ力」が重要だったということです。「これは外さないだろう」「ヒットする可能性が高い」と思うようなものではなく、周りが「これって本当に面白いんですか?」というものを、「いいんだよ、やるんだよ」と言って作る。これが“ジャンプ”です。

「だれもやってないもの」を考えるのが僕のスタイル。全員がこのスタイルだと、会社がつぶれるかもしれない(笑)

電波少年では、とにかく自分の中でどうしてもやってみたいと思う企画を実行していくことの繰り返しでした。
例えば、当時のテレビで海外番組といえば、おいしいものやきれいなもの、人気タレントの物見遊山の様子を紹介するのが当たり前だったんです。でも、それは“お金がある日本人”の目線の旅なんですよね。僕はそれが嫌で、「現地の人と同じ目線で旅をすることはできないのか」と感じていました。「猿岩石」というまったく無名のお笑いタレントが香港からイギリスまでヒッチハイクで旅行するという企画は、ここから生まれたんです。それまで人気だった「アポなし」とはまったく別物の企画でしたから、これは大きなジャンプだったと思います。
また、旅行もので大成功した後に作ったのが、お笑いタレントの「なすび」が懸賞だけで生活するという「電波少年的懸賞生活」でした。なすびが、ずっと同じ部屋の中でひたすら懸賞に応募するというもので、ずっと画が変わらないわけですから、最初は当然「そんな企画が成り立つのか」という話になりましたよ。それをやったのも、ジャンプだったんです。

佐藤文男さん(佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役)

僕は番組を作る際に、「だれもやってないもの、見たことがないもの」かどうかを考えます。だれもやっていないということは、実現するために越えなくてはならないハードルが高いということでしょう。でも、「テレビはこう作るものだ」という常識を外せばできるかもしれない。猿岩石のヒッチハイクの企画は、「テレビに出るのは人気者」という常識を覆し、「テレビが人気者を作るんだ」と思った時に生まれました。
ただし、これはあくまで僕のスタイルです。10人の作り手がいて、10人が僕と同じスタイルで番組を作ったら、会社がつぶれてしまうかもしれません(笑)。

profile 土屋敏男さん(日本テレビ放送網株式会社編成局エグゼクティブディレクター)
1956年生まれ。1979年に一橋大学社会学部を卒業し、日本テレビ放送網に入社。編成部やワイドショーの現場を経た後にバラエティー番組制作の道に進み、プロデューサー、ディレクターとして「電波少年」シリーズや「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」など数々の番組を手掛ける。「電波少年」シリーズでは「Tプロデューサー」「T部長」として番組に登場。2006年、動画ポータルサイト「第2日本テレビ」を立ち上げ、コンテンツ事業局次長兼「第2日本テレビ」事業本部VOD事業部長に就任。2010年より現職。ATP個人賞、日本文化デザイン賞など受賞多数。著書に『電波少年最終回』(日本テレビ放送網)、共著に『一歩60cmで地球を廻れ~間寛平だけが無謀な夢を実現できる理由~』(ワニブックス)がある。

profile 佐藤文男(佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役)
一橋大学法学部を卒業後、総合商社、外資系証券会社、メーカーといった異業種においてキャリアを積み1997年に人材サーチ(ヘッドハンティング)ビジネスへ。2003年に佐藤人材・サーチを設立。
著書は共著1冊を含め転職に関する本を12冊出版。 主な著書に『40歳からの転職術」(日経BP社)、『ヘッドハンティング・バイブル』『転職後、いい仕事ができる人の条件』(共に経済界刊)。今年3月に『転職のバイブル2012年版』を経済界より出版。
佐藤人材・サーチ ホームページ: http://www.sato-jinzai.com/


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