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プロが語る 成果を上げる社員の条件【佐藤文男】
日本NCR社長兼CEO 三ッ森隆司さん編
[2011.04.26]

日本NCR社長兼CEO 三ッ森隆司さんが語る“デキる社員”の条件~“普通の人生”を歩みたくない、自分にしかできないことに挑戦したい (1/3)


各分野のプロが語る 成果を上げる社員の条件(10)

三ッ森隆司さん(1)

(日本NCR株式会社 代表取締役社長兼CEO)

インタビュアー:佐藤文男(佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役)
文:千葉はるか(パンクロ)

各分野で活躍されている10人の方にご登場いただき、キャリア遍歴や仕事観、失敗談や苦労話までくまなくお聞きすることで、“デキる社員”にはどんな思考、行動様式が求められるのかに迫る本シリーズ。第4回のゲストは、日本NCR代表取締役兼CEOの三ッ森隆司さんです。
外資系をはじめとする数々の企業でキャリアを築いてきた三ッ森さんが、初めて社長に就任したのは39歳の時。その出発地点には、「自分にしかできないことに挑戦したい」という、熱い想いがありました。

“普通の人生”を歩みたくない、自分にしかできないことに挑戦したい

―新卒でアーサーアンダーセン(現アクセンチュア)に入社された理由、また、後々に影響を与えた新人時代のご経験を教えてください。

私が大学を卒業したころは、現在のように外資系コンサルティングファームが認知されておらず、同級生の多くは商社や銀行に就職していきました。そんな中でアーサーアンダーセンを選んだのは、私に少し尖ったところがあったからかもしれません。“普通の人生”を歩みたくない、自分にしかできないことに挑戦したいという気持ちがありました。

三ツ森隆司氏

三ツ森隆司さん(日本NCR株式会社 代表取締役社長兼CEO)

20代の大きな転機となったのは、アメリカに赴任したことです。入社5年目、28歳のことでした。そのころ、私は「もうこの会社でやれることはすべてやりつくしたのではないか」と感じていました。もちろんこれは今思えば甚だしい勘違いですが、「新しいことにチャレンジしたい、せっかく米系企業にいるのだからアメリカに行ってみたい」と考えて、日本法人の社長に自分の思いを伝えることにしたんです。なぜ私がアメリカに行く必要があるのか、今までどんな経験を積んできたのか、それをどうアメリカで活かすつもりかを英語で書いて、社長に渡したんです。

チャンスを得てニューヨークに赴任しましたが、いざ働き始めると、大きな壁にぶつかりました。日本と違って、アメリカでは自分から動かなければ何ひとつ始まりませんし、何らかのパフォーマンスを上げなければまったく認められません。渡米するときは自分が何でもできるような気がしていたのですが、もちろんとんでもない話で、赴任していた2年半の間にずいぶん揉まれました。人生は甘くないということを思い知りましたね。

企業買収で規模が急に10倍以上に。非常に難度の高いマネジメントを経験した

―帰国後はどのようなお仕事をされましたか。

アメリカでの経験を活かし、しばらくは金融システムの開発などを手掛けました。その後、ちょうど関わっていたプロジェクトが一区切りついたところで誘いを受けたことをきっかけに、電通国際情報サービスの新子会社設立に参画したんです。設立メンバーは、たった6人。32歳の時でした。

 

三ツ森隆司さん(左)と佐藤文男さん(佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役 右)

システム・コンサルティング部門の立ち上げなどを担当し、ゼロからビジネスを作り、回していく経験を積んだ後、アーサーアンダーセン時代の元上司が社長であったため、社長の補佐役として1997年にコンパック・コンピュータに入社しました。コンパックにいた2年間は、まさに激動の時代でしたね。当時のコンパックは純粋なハードウエアメーカーで、私のミッションはサービス部門を立ち上げることでした。ところが、当初は社員が300人程度しかいなかったのに、企業買収を進めたことで社員数が一気に4000人に増えたのです。私は企業買収時の組織統合も担うことになりました。規模が急に10倍以上になったわけですから、非常に難度の高いマネジメントを経験したと思います。

日本法人設立後、4人目の社長として就任。「どうせ6カ月で交代だろう」と言われていた

―39歳という若さでコンピュータ・アソシエイツ(CA、現CAテクノロジーズ)の社長に就任されていますが、どのような経緯で就任に至ったのでしょうか?

CAはシステム運用管理のソフトウエアを扱う世界第4位のソフトウエア会社で、日本法人として立ち上げられたのは1997年のことでした。私が世界的にサービス部門を立ち上げるために日本法人で責任者を探しているという話をいただき、サービス部門の責任者として入社したのは1999年。ところが入社して2カ月後、私が立てたビジネスプランを見たアメリカ本社のCEOから、社長に就任するようにと言われたのです。

私が社長に就任する以前CAは半年ごとに外国人の社長が入れ替わっており、私は日本法人設立後4人目の社長だったのです。私も「どうせ6カ月で交代だろう」と言われていました。社員は約350人で、派遣社員も加えると500人近い規模でしたが、社員は全員が中途採用。会社へのロイヤリティが低く、「自分の仕事さえこなしていれば良い」と考える人が大半で、毎年多数の社員が入れ替わる状態でした。

profile  三ッ森隆司(日本NCR株式会社 代表取締役社長兼CEO)
1959年生まれ。1983年に一橋大学経済学部を卒業し、アーサーアンダーセン(現アクセンチュア)入社。入社5年目に米アーサーアンダーセンへ赴任し2年半の米国勤務を経験。1991年に電通国際システム設立に参画し、システム・コンサルティング部部長を務める。1997年にコンパック・コンピュータに転じ、経営企画本部長、コンサルティング本部本部長などを歴任。1998年、コンピュータ・アソシエイツ(CA、現CAテクノロジーズ)グローバル・プロフェッショナル・サービス日本担当シニア・バイス・プレジデント就任。翌年、39歳でCA代表取締役社長に。2006年、日本NCRへ入社し代表取締役副社長兼流通システム本部長。2007年より現職。米NCRコーポレーション日本韓国地域統括バイスプレジデントも兼務し、流通業や金融機関をはじめとするさまざまな日本企業に、ビジネスの変革をサポートする製品やソリューションをグローバルな観点から提供している。

profile 佐藤文男(佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役)
一橋大学法学部を卒業後、総合商社、外資系証券会社、メーカーといった異業種においてキャリアを積み1997年に人材サーチ(ヘッドハンティング)ビジネスへ。2003年に佐藤人材・サーチを設立。
著書は共著1冊を含め転職に関する本を12冊出版。 主な著書に『40歳からの転職術」(日経BP社)、『ヘッドハンティング・バイブル』『転職後、いい仕事ができる人の条件』(共に経済界刊)。今年3月に『転職のバイブル2012年版』を経済界より出版。
佐藤人材・サーチ ホームページ: http://www.sato-jinzai.com/


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