トップインタビュー 明日を拓く「型」と「知恵」 [2012.04.11]

半世紀で2度の津波体験。それでも「かもめ」は飛び続ける――さいとう製菓株式会社 齊藤俊明さん (上)

 


 

   撮影=池上勇人

齊藤俊明 さいとうとしあき
さいとう製菓株式会社 代表取締役社長
1941年岩手県生まれ。高校卒業後に盛岡の警察学校に入学後、1960年のチリ地震による津波被災を受けて進路を断念。家業のさいとう製菓(当時は齊藤餅屋)に入社。1984年に42歳で父の跡を継ぎ、社長に就任。「かもめの玉子」をはじめとする和菓子・洋菓子製造で大船渡を代表する食品会社に育てる。

三陸海岸で観光土産となる名物を立ち上げて60年――。
東北を代表する銘菓を育てた会社を、東日本大震災と大津波が襲った。
被災後40日で生産を再開したことで、地域の先頭に立って再建する姿勢を
社内外に見せた。2度の試練を乗り越え、再びかもめは舞い上がる。

取材構成・文=高井尚之(◆プロフィール


 社長室に、一枚の年季の入った看板が置かれている。
「御土産に 名物 鴎の玉子」と記された、流れるような手書き文字。
 1957(昭和32)年に作られ、今年で65年を迎えたこの看板は、1960年のチリ地震、そして2011年の東日本大震災と、三陸海岸を襲った2度の大津波で流されながら、その都度見つかった不屈の看板だ。それは岩手県大船渡市に本社を構え、東北を代表する銘菓「かもめの玉子」を育ててきた、さいとう製菓の生きざまにも似ている。 


今回の大津波にも耐え抜いた看板を持つ齊藤社長

 今回の津波により、本社と商品を販売する5店舗を流失した同社だが、被災から40日後に早くも本格生産を再開。練乳入り黄味あんをカステラ生地で包み、ホワイトチョコをコーティングした「かもめの玉子」も震災前の8割、1日15万個の生産にまで回復した。 


ビジネスマンの出張土産としても人気の「かもめの玉子」

 「経営はどんなことがあっても続けていくことが大切。一生懸命働いて、きちんと利益を出して従業員と地域に還元する。もちろん手段を選ばずではなく、道徳が大切ですよ」
 社長の齊藤俊明さんはこう語る。創業者の長男で警察官になるつもりだった齊藤さんが家業を継ぎ、社長に就任して28年。現在は大船渡商工会議所の会頭も務める。人情味のある風貌は、かつて志した警察署のベテラン署長といった雰囲気を醸し出す。


被災者に配り続けた「かもめの玉子」

 あの日・あの時――。

 齊藤さんは親戚の見舞いのため、大船渡から約120km離れた盛岡市にいた。
 「見舞いを終えて遅い昼食をとろうと百貨店にいましたが、あまりの激しい揺れで立っていられない。売り場の商品も次々に落下する。一緒にいた妻が恐怖で思わず私にしがみついたほどです。揺れが収まるとすぐにクルマで会社に戻ろうとしましたが、道路は避難する人たちで渋滞。大船渡に戻ったのは、4時間近くたった午後6時半過ぎでした」

 携帯電話も使えない中、会社と従業員の安否が気がかりだった。車中で流れるラジオが唯一の情報源。クルマから見た光景は悲惨だった。ありえないものが、ありえない場所にある。大船渡に戻った時は日没と停電で真っ暗。従業員や親族の安否を求めて大船渡県立病院、市民会館、大船渡北小学校を回る。どこに行っても人であふれているが、顔もはっきり見えない。不安と寒さが身体を襲う。

 「地獄的な惨事だ。この世の終わりだな、と思いました」
 そう振り返る齊藤さんだが、やがて専務の齊藤賢治さん(実弟)と会い、従業員250人のうち2人を除く人数の無事を確認する。そこから気持ちを立て直した。
 被災した翌々日、主力工場(第三工場)に足を運ぶ。高台にあるこの工場は津波の被害を免れていた。もともと人事異動や引っ越し、卒業式のある3月は、贈答用に用いられる商品が多い同社にとって、お盆の8月、年末の12月に次いで、1年で3番目に忙しい時期である。工場には3月9日と10日生産分の「かもめの玉子」約25万個が、商品出荷を控え在庫として残っていた。

 「この商品をすべて配って食べてもらおう」
 そう決意した齊藤さんは、従業員と一緒にバケツリレー方式で配送車に商品を積む。貴重なガソリンは他の社有車からかき集めた。盛(さかり)小学校、リアスホール(大船渡市民文化会館、市立図書館)、大船渡北小学校と南下しながら避難所を回る。その後は陸前高田市に向かった。
 「生きていられてよかったね、頑張ってまたおいしいものを食べよう」と話し、銘菓を配る。被災者からは次々に感謝の声が返ってきた。
 「緊迫感や恐怖心がある中で、甘いお菓子には、精神安定剤の役目もあると感じました」と振り返る齊藤さん。
 

身振り手振りを交えて当時の支援活動の様子を語る齊藤社長

 「この間も被災した人に言われましたよ。『あの時はすごく助かった、ありがとう』と」
 結局、さいとう製菓が被災者に配った自社商品は額にして3000万円に上った。


「情けは人のためならず」

 当初、安否がわからなかった2人の社員は、1週間後までに無事が確認される。最後に確認できた女性社員は産休中で石川県金沢市にいたそうだ。
 もう1人は岩手県宮古地区担当の社員で、釜石市の避難所にいた。この人は本社に戻ると「被災した人たちに、手持ちのかもめの玉子を全部配ってきました」と報告したという。
 齊藤さんは「よくやった、あっぱれだ」と褒め、後日この社員に「社長賞」を授与した。

 「困った時はお互いさま。今まで地域の人たちの応援によって当社は成長することができたのですから。商品代金以外に建物の流失などで損害は2億8000万円、建設費負担などで最終的には6億5000万円になる見通しです」
 経営的には大打撃の支出だが、淡々と説明する。もっともそんな齊藤さんも終始、沈着冷静だったわけではない。大惨事を前にして茫然とした日々もあった。
 被災者心理としては当然だろう。別の取材でお会いした気仙沼市の企業経営者も「毎日必死で考えて行動していたが、当時は論理的な思いと感傷的な思いが交互に襲ってきた」と述懐していたほどだ。

 前に紹介したように、不幸中の幸いだったのは、生産の大半を担う主力工場が津波の被害を受けなかったことだ。「再建はいけると思ったし、全国のお客さまから『復活してほしい』という励ましのお手紙が毎日30通前後、見舞金、コメや衣料品などが届きました」。

 工場の再開に向けて動き出したが、大きな問題が横たわる。主原料となる鶏卵の不足だ。エサが不足してブロイラーが餓死するなど、取引先も震災の影響を受けていた。しかし結局、さいとう製菓に率先して生卵を供給してくれることになり、生産のメドがつく。
 「取引先とは共存共栄の精神でやってきたからでしょう。よく見積もり段階で値切って、支払い段階で値切るという会社もありますが、当社は絶対にしません。『商品を買ってくれる人も、原材料を納品してくれる人も同じように接しなさい』と指導してきました。過去に高圧的な態度を取っていたら、今回、取引先は供給してくれなかったはずです」

 避難所に「かもめの玉子」を配り続けた同社の活動は、次々にメディアが報道するようになる。いつしか復興のシンボル的存在となり、齊藤さんの「かもめは達者だぞと伝えたかった」というコメントも報じられた。「震災」「大津波」という悪夢が降りかかったさいとう製菓に、今度は日本中から「被災地の支援」という追い風が吹いたのだ。

 3月11日の震災により10日しか営業できなかった同月の業績は、前年比25%と4分の1の売り上げにとどまり、20日から生産再開した4月も同30%だったが、5月からは一転120~130%と、前年を大きく上回るV字回復を果たす。その後も前年を越える勢いは続く。
 「個人主義といわれた世の中に、ここまで人情があった。何とありがたいことか。本当の意味での人間らしさを感じましたね」


「従業員は宝」の家族主義経営

 被災して2日後、3月13日に齊藤さん夫婦が主力工場に行った時、他に6人の社員がいた。その1人である販売部長は、津波の被害とは無縁の場所に自宅があったため、震災後、連日工場の様子を見にきていたという。
 この社員たちが率先して、後片付けや機械の修理を始める。これに刺激を受けて齊藤さんも奮い立つ。その10日後、避難していた全従業員を集めた齊藤さんは、こう説明した。

 「当社も本社と5つの店舗が津波で流失しました。取引先も72社が全壊しました。このような壊滅的状況の中、再開に向けて動き出していますが、再開できても今までの2分の1でしょう。断腸の思いですが、休職や一時解雇もあり得ます」
 実際に被災した店を中心に従業員を解雇した齊藤さんは、当時の取材に対して「責任を感じる。一刻も早く復帰してもらえるよう努力する」と話していた。

 しかし、多くの従業員は諦めていなかった。総力を挙げて生産再開に取り組んだ結果、早くも4月7日に工場を再稼働、同20日に本格生産がスタートできたのだ。
 さらに前述した被災地支援の追い風で、5月以降は業績も急回復。経営が軌道に乗るにつれて従業員も復帰し、現在では「復帰希望者は100%戻った」という。
 「生産が回復するとともに、みんな元気を取り戻しました。本当に会社にとって従業員は宝です」と語る齊藤さんは、夏の賞与も当初の予定額を支払った。代わりに自分の報酬は大幅に減額したという。
 

齊藤社長は、会社が一丸としてやっていくには社員との信頼関係がすべてと語る

 多くの企業を取材していると、その会社の風通しのよさは、ちょっとした応対でわかる。
 今回、さいとう製菓に教えてもらった工場に到着したものの、取材場所の位置がわからなかった取材班は、昼休みで休憩している従業員に尋ねてみた。
 「取材相手は社長ですか? 俊明さんなら、この道を下ってすぐ右を曲がった建物です」と教えてくれた。「お疲れさまです」の声に見送られて到着すると、ちょうど齊藤さんと一緒になったが、管理部門の社員も自然な対応で社長と向き合う。ワンマン経営者の場合、社員は腫れ物に触るように社長と接するが、そんな雰囲気はまったくない。


「被災地への同情」に甘えない

 震災から1年――。復興対策の遅れなど課題は山積みだが、生活のためにも、お客さまのためにも、被災企業はできることからスタートしている。さいとう製菓も事業活動を続ける。
 「お菓子なので衛生管理には気をつけています。生産段階で事故を起こしたら、ブランドイメージも崩れてしまいますから」
 かつての生産現場では、食の安全性を脅かすものの代表に「菌汚染」と「異物混入」が挙げられていたが、最近は「アレルギー対策」も重視されるようになった。この三つの対策をケアしながら生産に取り組む。

 震災や津波による被害は甚大だったが、時の経過とともに世間の記憶は薄れるだろう。これは無関心というだけでなく、「普通の企業と同じ土俵で判断される」ことも意味する。
 齊藤さんは、今年も続く「東北・食の応援フェア」などの支援イベントに感謝しつつも「被災地への同情に甘えるのではなく、声に応えなければなりません」と語る。
 あえてこう言うのは、大船渡商工会議所の会頭として、率先して立ち向かわなければならない使命感もあるのだろう。

 大船渡市ではリーディングカンパニーの橋爪商事(建設資材、工業資材業)が、震災と津波で、本社や高田支店、南三陸支店などが壊滅的な被害を受けた。
 同社社長の宮澤信平さんと齊藤さんは、大船渡商工会の副会頭同士(当時)として歩んだ関係だ。その橋爪商事も再建に向けて歩を進める。だからこその決意でもある。

 2011年10月、さいとう製菓は被災して初の新商品『復興福朗』を発売した。復興をフクロウに託した甘酸っぱい味だ。メーカーの場合、新商品が発売されれば、社内の雰囲気が前向きになる。震災1年が経過した現在、業績も順調に回復している。
 リアス式の景色が美しい三陸海岸の復活に向けて、かもめはより高く舞い上がった。
 

カステラ生地でホワイトチョコあんを包み、ラズベリージャムを閉じ込めた『復興福朗』


次号予告:さいとう製菓の危機管理意識や地域への思いについて(4月25日更新予定) 

■Company Profile
さいとう製菓株式会社
・創業/1933(昭和8)年
・代表取締役社長 齊藤俊明
・仮本社/岩手県大船渡市大船渡町字富沢41-12
・TEL 0192-26-2222(代)/フリーダイヤル 0120-311005
・事業内容/和菓子・洋菓子の製造販売
・代表商品/「かもめの玉子」
・従業員数/220人(グループ計。2012年3月31日現在)
・企業サイト http://www.saitoseika.co.jp/

◆高井尚之(たかい・なおゆき)
ジャーナリスト。1962年生まれ。日本実業出版社、花王・情報作成部を経て2004年に独立。「企業と生活者との交流」「ビジネス現場とヒト」をテーマに、企画、取材・執筆、コンサルティングを行う。著書に『なぜ「高くても売れる」のか』(文藝春秋)、『日本カフェ興亡記』(日本経済新聞出版社)、『花王「百年・愚直」のものづくり』(日経ビジネス人文庫)、『花王の「日々工夫する」仕事術』(日本実業出版社)、近著に『「解」は己の中にあり 「ブラザー小池利和」の経営哲学60』(講談社)がある。

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